株式会社 琉香 ~沖縄 老舗 染め織専門店~ 染織の製造・企画から販売まで

琉球染織専門店 琉香
琉球染織の歴史
歴史

 はるか15~16世紀ごろ、琉球は、中国、朝鮮、東南アジア諸国と貿易し大交易時代がくりひろげられていた。
1372年の琉球、中山王察度は明の太祖洪武帝の招きを受け、初めて明国に入貢し、進貢貿易を開始した。
その貢易によって琉球の染織物は、外来文化の影響を吸収しながら、独自の織物へと発展 していった。島に自生する糸の原料である芭蕉や苧麻、さらに亜熱帯の気候風土に恵まれた植物染料の豊かさは多種多彩の染織物を生み出す要素になった。養蚕など活発に技術、技法を積極的に取り込んでは創意工夫を繰り返し、すばらしい染織の技術を確立してきた。
しかし大交易時代、外来からの技法が伝来したのとは別の要素で染織物の隆盛をむかえる。1690年に薩摩藩の琉球侵略で人頭税が導入された。琉球王府が発行した御絵図帳の図案を基に色、形とも忠実に織ることを命じた。沖縄本島各地域、宮古、八重山、久米島の民に米や粟の換わりに布を納めさせた。250年間、人々は過酷な人頭税の苦しみを強いられてきた。
また、その苦労や努力が高度な技術に反映され、現在の染織物の基盤を築いていったことも事実である。その時代の中で生き続け、変わり、発展していった琉球の染織物は第2次世界大戦で壊滅的な被害を受け多くのものを失った。また、時代の波には逆らえず洋服など西洋文化の影響で、一時期その伝統は途絶えかけた。
しかし戦後、先人たちの地道な復興努力により現在では各地域でふたたび活発に織られている。そして伝統工芸として若い世代へと確実に受け継がれている。
このサイトではとりあげきれなかった染織物も多数存在する。 1世紀ほど前に途絶えた知花花織(現在は復元されている)等の花織や沖縄各地に様々な技法で伝えられていたミンサー織(竹富ミンサー、石川ミンサー、与那国ミンサー)等が今も残っている。また、近代の染物としてウージ染め(さとうきび染め)、月桃染(げっとうぞめ)、琉球藍染め、草木染めなどがある。沖縄古来の琉球藍や絣柄を用いて現代ファッションに採りいれるなど、伝統を重んじながら新しいものに果敢に挑戦している沖縄の染織の姿がある。